―――――ごぽっ・・・・
頬をつたう柔らかな感触が、やけに遠く感じた。
―――――ごぽごぽ・・・・・・・
身体が変な浮遊感に包まれていると気付いたのは、つい今さっき。
これが水の中に浮かんでいるときのソレとよく似ていると気付いたのは今。
―――――ごぽごぽごぽっ・・・・・・・・・・
なんで自分が水の中に?
しかも息はさっぱり苦しくならない。
この感覚からして全身が水につかっているはずなのに・・・・・・・・・・。
―――――ごぽごぽごぽごぽ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目には何も映らない。
いや、まぶたを開けていないから見えないのは当然。
ぐっと力を込めてみたけど、何故かその部分が接着されたように開くことはない。
反射的に腕を持ち上げそこに触れようとしたけど、何故か感触が変でイマイチ分からない。
あぁ、ただ単に今のボクにはまぶたがないのか、と何故か頭に思い浮かんだ。
すると目頭の辺りが急に熱を持ち・・・・・・・・・・・・
―――――ごぽごぽごぽごぽごぽごぽっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次の瞬間、小さな痛みとともにまぶたができた。
手を伸ばした先の虚無
まぶたを開いて一番最初に認識した色は、血のような『赤』だった。
ぱちぱちと何度か瞬きをすれば焦点が合い、その『赤』が皮膚の下の筋肉の色なのだと理解。
さらにそれが腕で、自分の身体から生えた物だと数秒遅れて理解。
随分大きくていびつなのだなと思いつつ視線をずらせば、手のひらにあたる部分から大きく伸びる、鋭い獣のような爪みたいのが目に入った。
(ちがう・・・・・)
これはちがう。
大きな違和感とともにそう感じた瞬間、腕が熱を持って大きく一度跳ねた。
少し驚いて閉じたまぶたをもう一度開けたとき、そこには白い肌の人間の腕が。
ぐっぐっと握ったり開いたり。
自分の腕の感触を確かめたら、今度は下半身に視線を移動。
(・・・・・やっぱり)
そこには最初目に入った腕と同じ状態の両足。
しかも動物の後ろ足みたいに大きく、また爪も更に大きく鋭かった。
少し感心しつつ見ていたら、先ほどの腕のように熱を持って全身が痙攣したように震えた。
そしてそれがおさまったとき、そこには普通の下半身が。
とりあえず両足を曲げたり伸ばしたり、手と同じように感触を確かめていれば肘がなにかにあたった。
なんだろうと顔を上げ手を伸ばしてみれば、それはガラスの壁。
更にそのガラスの向こうには白い空間。
ガラスの壁に添って手を動かせば、今いる場所が意外と狭く、円筒形のガラスの中だということが判明。
俺はそのつつの中に、腕や足や頭につながったチューブやコードに支えられ浮かんでいる状態。
なんか・・・・・・・・・・・・・・・・・・実験動物みたいで無性に腹が立った。
否、これは確実に実験動物だろう。
そう考えたらこんな所でジッとしている自分がなんだか馬鹿らしく思えてきた。
なんとなく両腕を横に伸ばし、軽く力を込める。
ピシピシピシ・・・・・・・・・・
(驚いた・・・・・・)
まだあまり力を入れていないのに、ガラスに接した部分から蜘蛛の巣状にヒビが広がった。
(これは・・・・・・・・意外と脆いかも・・・・・・)
存外簡単に外に出れそうだと笑い、更に力を込めれば・・・・・・・・
(・・・・・・・・っ)
盛大な音を上げガラスが飛び散った。
ザァアアァァァぁあぁあああああ・・・・・・・・・・・・・・
すると今まで自身を取り巻いていた水が遮るものもなくなり外へと。
「ぅげほっ・・・けほっ・・・ッ・・・かはっ・・・・・・・ぁ・・・」
しまった、先に僕につながったチューブとか抜いておけばよかった…!
液体が流れてしまい、体は重力に従い下へ。
肺の中まで液体が入っていたらしく、咳きこむことに意識が持っていかれてうまく立てない僕は、体に刺さったままの針とチューブにぶら下がる状態になっていて、正直、イタイ。
(ああっ、もうっ、)
引き攣る感覚が不快で上半身を捻りながらしゃがみこめば、ぶちぶちっと針が皮膚から強制的に抜けた。
「っつぅ・・・」
思った以上に長かったらしいコードが数本。
首の横から生えるそれを震える手でつかみ引き抜けば、もう僕の体に繋がるものはない。
「…はぁっ・・・・はぁっ…」
いったん目を閉じ乱れた呼吸を整えていれば、ふと頭をよぎった疑問。
「・・・・・・・・・・僕は・・・・・・・・誰だ?」
自分が記憶喪失だと理解してから、しばらく経った。
症状からして僕は全生活史健忘、つまり社会的常識は覚えていのに自分の事は何一つ覚えていない状態だと判断。
これが心因性によるものか、外傷によるものか、はたまた何らかの薬の影響かは不明。
目が覚めた時の状況からどれもあてはまりそうで分からないのが現状だ。
まぁこの手の記憶喪失は時間が解決してくれるだろうから、とりあえず今は保留。
さて、そうなれば次に気になるのは僕の立場だ。
・・・・といっても、さっきも述べたようにほぼ確実に僕は実験動物的な状況であるのは間違いない。
僕が入っていた円筒形のガラスが設置されいるのは部屋の中心。
それを囲むように周囲には様々な計測の機器が静かに起動している。
しかし、それを観測・記録・検討するはずの研究員の姿はない。
結構大きな部屋だが、外へと繋がる扉は一つ。
よっぽどこの部屋は特殊なのか、カードを通すリーダーとナンバー入力用のボタン。
(普通は入室の際のみだろうに、なんだこの厳重さは………)
(僕がよっぽど特殊で特異な実験体だとか?)
考えても答えは出ないから、まぁ誰もいないし、どうぜ自分のデータなんだから勝手に見てもいいだろうとそこらの機器をいじってみることに。
(そういえばこういった物の操作方法とか、普通に覚えてるから不思議だ………)
カタカタカタと、僕以外誰もいない広い部屋に響くタイピングの音。
その指先は全く乱れる様子も躊躇う気配もなく、どこをどうすればいいのか自然と浮かび上がってきた知識が先導してくれる。
その結果知ることができたのは・・・・・・・・・・
僕に繋がっていたチューブから投与されていた物の名称は『T-ウィルス』というモノ。
どうやら僕は一度死んだ身らしく、そのウィルスを投与したことにより再度生命活動を始めたらしいこと。
その僕の事を、ここの研究員は『ヒュプノス』と呼んでいたこと。
まぁ、普通にこれは僕の名前じゃないだろう。
『眠りの神』だなんて、普通子供につけない。
とりあえず、しょうがないからしばらくはそれを仮名として使うけど。
・・・・・・・・・・・にしても、
「僕ってもう人間じゃないよねぇ、これ………」
記録されてるデータだと僕は、生命活動を再開してからしばらくして体の骨格形状や仕組み等が変化し人とは異なる姿に変貌していった様子。
それは遺伝子の形から診るにどの生物とも違い、人工的な人類の進化系、もしくは突然変異による亜種か何か。
保存されている画像を見る限りじゃ、とても同じ生き物とは思えない奇異なものだった。
(まぁ今はもう元に戻ってるみたいだし、写真で見る限り僕って結構美形じゃん?)
金髪碧眼の左右対称な整った容姿。
筋肉質ではないけれど、それなりに引き締まった痩躯・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、あ。
「・・・・・・・・・・・洋服、探さなきゃ」
自分がいまだ何も身につけていないのだと、ようやく思い出した。
でもこの部屋には誰もいないし、誰かがやってくる気配もない。
せめて体に巻きつける布くらいあればいいのに、タオル一枚も見つからない。
となると残された選択肢は、この部屋を出て探す、というもののみ。
「カードキーに暗証ナンバー・・・・・・ねぇ・・・・・・・・」
普通に考えて、そんなもの持ってないし知らない。
放置してもないし、端末に残ってたりもしない。
窓らしきものもないし、通気口はあるけれど小さすぎて出入り不可能。
外と連絡が取れるようなものもないし、パソコンはネットにすら繋がっていない。
監視カメラもない様子だし、本当、この部屋って何なんだろうって感じ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・蹴って開くほどお粗末なつくりだったらな・・・・・」
あり得ない想像についつい失笑。
そのとき濡れたままの髪が垂れてきたのでほとんど無意識にかきあげ、邪魔にならないよう後ろに撫でつけたとき目に入った腕は・・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・あれ?」
真っ白な、傷一つない滑らかな肌。
それだけなら問題はないのだけど、でも微妙な違和感が。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・傷跡がない?」
そうだそうだ。
ついさっきまで僕の体に刺さってた針の傷跡が、どういうわけか綺麗さっぱり無くなっているなんて・・・・・・どういうことだ?
気になって他にも刺さっていたところを見れる範囲で見てみたけど、やっぱりどこもかしこも針なんて刺さっていなかったかのように綺麗なまま。
そう言えば割れたガラスの上を歩いたのに、足の裏にも傷一つない。
というか、よくよく見ればあのガラス、結構ぶ厚くないか?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
じっと、見下ろす先は自分の掌。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そして次に視線を向けるのは、この部屋唯一の扉。
(もしかしたら・・・・・・・・・・・)
ぐっと手を握りこみ、扉の前へと移動。
握りしめた拳を一度開き、扉へぺたり、と当てる。
そして・・・・・・・・・・・・
「んっ・・・・・・・・・・・・・・!」
ぐっと扉にあてた手に力を込めれば、ぐにゃり、とありえない感触とともに沈み込む掌。
次いで手をあてた位置を中心にへこんでいく扉。
べこっ、とか、めきっ、とかいう金属の歪むようなこすれるような音が聞こえてきたけど、相も変わらず掌に伝わる感触は柔らかい。
「もー…少しっ!」
ぐぐぐっとめり込んだ手に力を一気に込め、奥へと押しやれば・・・・・・・・・・・・・
バギィッ
耳に響く嫌な音と共に、金属で出来た扉が真っ二つに折れた。
そしてほとんどめり込んだ状態だった手を引っこ抜けば、大きな鈍い音をたてて床に沈み込む元扉。
「・・・・・・・・・うーん、僕って力持ち?」
とりあえず、部屋から出ることできたから万々歳。
………でも、抜け出た先がまた機器が並ぶ部屋で、やっぱり誰もいないこの状況って・・・・・・・・・・なに?
[進]